”平和”を求めて


今年は忙しい合間にも、たくさん得たものがありました。
そのひとつが、アイヌ文化との出会い。


山形に住んでいたときにも、その文化に触れ、ますます深く知りたい気持ちが高まっていました。


なぜアイヌ文化かというと、ルーツは縄文です。
これはもう中学とか高校とか学生のころから、わたしにとってはとても興味深い文化でした。土器を作り、狩猟採集、共同生活、お祭りをおこない、自然との共生を実現し、争いのない、現代ではとても考えられない暮らしをしていたという縄文時代。驚きとともに縄文の人たちを尊敬する気持ちとその暮らしぶりを現代に取り入れて、少しでも”平和”な世の中にならないだろうか、と思っていました。


縄文の精神を求める根底には、”平和”を求める気持ちがあります。
小学4年だったか、テレビで湾岸戦争の映像を見たことが衝撃的で、大きなショックでした。今でも映像が脳裏に焼き付いたまま離れません。それまでは、戦争というのは教科書のなかだけというか、過去のことだとばかり思っていたのが、今、現実に戦争がおこって多くの人たちが命を落としているという事実に、当時のわたしはガーンと頭を殴られた感じでした。それからしばらくずっと戦争のことを考えに考えていた記憶があります。一体、どうしたら戦争がなくなるんだろう?ということを考えていました。そのとき、一生懸命考えて、わたしができたことは祈ることでした。それで、紙に祈りの文章を書いて、声明?みたいなものですが、これを学習机の目の前に張り付けて、その下には大事にしているお地蔵様の置物をおいて、ひっしに祈りました。


そんなわけで、それから、”平和”にみんなが仲良く暮らす世界を作るにはどうしたらいいんだろう、が今にいたるまでの本当に大きなわたしのテーマになっています。(余談ですが、バリ島の精神文化に魅かれたのも同じ理由でした。)あまりに根底にありすぎて、このあたりは人に語ることもなかったですが、今年アイヌ文化と出会い、自分のなかでもはっきりと意識したのでつづっています。


この”平和”というのも、言葉ではひとことでいえますけど、この表現がぴったりなのかちょっとわからなくて、でも一人一人の心の中が平穏である、という状態をイメージしています。平穏であれば争いはおきず、いろんなものを分かち合って暮らしていけるはず。


だから、争いがなく自然の恵みをとりすぎない程度にいただき、共同生活をしていたという縄文の暮らしにヒントがあると思ったのです。1万年以上も続いたという素晴らしい文化だと思っています。できれば、縄文人に会いたい!!と思うのですが、残念ながら現代にはいないわけで(笑)。
そのときに、縄文文化を引き継ぐと言われている、アイヌの方たちが今に生きているという素晴らしいことに気づいたのです。


山形で暮らしているときに、その文化が生きていることを確信し、当時のままの暮らしをしている人はもういないということでしたが、知っている人はいるはず!とアイヌ文化を知ろうと思いました。


今年、アイヌの方たちと出会い、その文化のことを聞き、その精神にまだちょっとですが触れ、とても感動しました。わたしが幼いときから求めてきた、平和に生きる、暮らすヒントがここにある!!縄文という過去にではなく、現代にまだ生きているということがすごいことだと思いました。


民族の歴史を越えて、今、本当に大切なことは何なのか。
学び、実践したいです。
そしてその輪を広げてゆきたい、と気持ちをあらたにしました。