舟形町での暮らし


丸2年間住んでいた舟形町を離れました。
写真は、この5月にできたてほやほやの池です。湧水から出来上がっています。ビオトープにして、住民や生き物の憩いの場にするということで地区の人たちが作っています。


何もわからず、飛び込んできたわたしをあたたかく町の人は迎え入れてくれました。来たばかりの日、婦人会に呼ばれて、不安ながらも顔を出したのですが、「よく来たね!」と笑顔でみなさんが話しかけてくれ、とてもあたたかい気持ちになりました。それからは、とれたての野菜をいただいたり、漬物や保存食をいただいたり、感謝の日々です。2年のうちに、郷土料理もいくつか作れるようになりました。生きていて、こんなにご飯がおいしいと感じる日常はありませんでした。


地域の行事への参加はとても新鮮で楽しく、お酒の席も今までになく楽しいものになりました。こういう世界があったなんて!という驚きと喜びに満ちていました。暮らしていくなかでの発見はそのまま、学びへとつながりました。冬が厳しいだけに、知恵がたくわえられていて、漬物の種類の多さには感動しました。米どころとあって、ワラ文化も残っていました。みんなと一緒に作れるようになれたらいいな、と企画したわら細工講座は、技術だけでなく、教えてくれるおじいちゃんたちからのよもやま話という大きな価値あるおまけもついてきました。


広い空ときれいな空気、澄み渡る川、夜には満天の星空。そして、いろんな人たちの笑顔。すてきなものに囲まれていました。すてきな人たちに暮らしも仕事も支えられていました。


町を出る前、ばたばたと仕事に追われていたわたしは、休日も出勤していました。いろんな感情でいっぱいになっていたなか、今までよく話したことがなかった事務室の方とすてきな話をすることができました。

その方は、生まれてからいままでずっとこの町に住んでいて、そのことをとても嬉しそうに話してくれました。
「日本一すてきな町は、この町だ!って胸張って言えるんだ。」

「そりゃ、雪が多くて大変とか、夏は暑くて大変とか、そんな不満をどこかと比べて言い出したらきりないけど、だけど、この自分をいままで作ってきたものはいったい何なのかってことなんだよ。」

「ふるさとだろ!いまの自分がこうしてあれるのは、このふるさとがあるからなんだ!俺はこの町に育ててきてもらったんだ。だから、自分にとってこの町が日本一ってのはあたりまえだろー!」


その話を聞きながら、わたしは心からこの町に来てよかった。この町で短い間でも暮らせてよかった!と心から思いました。


「日本に住んでいるみんなが、自分のふるさとが一番!って言えるようになったら、社会はとてもよくなると思ってるんだ。」

その通りだなと思いました。
自分を生み出してくれた地域を誇らしく思う気持ち。
大切に思う気持ち。
みんながそう感じていたら、いろんなことがいい方向にいく気がします。





”何が正しいかは 人間じゃない
母なる大地が知ってくれている ”


”平和とは暮らしそのもの”



ドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」からの言葉です。
長いこと抑圧されていた東ティモールの人々が、自分たちが住む場所を深く敬い、自分たちをはぐくんでくれた自然を敬い、大切にしているさまが、ある青年の歌を通して語られます。
人は一人では弱いけれど、団結したらすばらしいんだ、という青年の言葉が印象的でした。



日本の地域には、まだまだ人と人との確かなつながりがあります。
そんなつながりのなかに、少しでもいることができ、一人だけれど一人じゃない、そして家族との絆のありがたさを感じました。



人は人であり続けるけれど、大きなもののなかの一部であるということ、そしてすべては一つのものにつながっているということ、だから安心していいのだということ、おびえずに生きたらいいのだということ、そんなことに思いを馳せています。


はなれていてもつながっていたいと思います。