父島への旅

世界遺産に登録されたばかりの、小笠原諸島へ行ってきました。
かれこれ、5年以上前から行きたいと願いながらなかなかかなわず、今回ようやく実現しました。
竹芝桟橋から25時間半の船旅です。



夏休みということもあって、船は満席に近い具合でした。
多くの人が利用する2等室は畳の上に毛布が一人ずつ分並んでしかれていて、そこが丸一日各自が過ごす場所となります。一人がやっと寝られるくらいの長方形のスペースです。もちろん、隣の人との境界線なんてものもありませんし、完全にプライバシーのない空間です。
小笠原へ向かう人たちはもれなく、この船に乗り、その多くが2等船室を使います。25時間を共にした人たちとは言葉をかわさなくとも、そこはかとない連帯感が生まれるようです。

島について最初のランチはハートロック・カフェのタコライスパッションフルーツジュースです。ハートロックという、この島にある名所にちなんでこの名前がつけられているようです。
暑い場所でのタコライスはやっぱりおいしいです。

ギンネムの木です。

アウトリガーカヌーはこの島での伝統的な船です。近隣の南方の島々からの影響もあり、古くから使われているそうです。ただ、最近はエンジンがついたり、モーターボートの勢いにおされ気味のようです。危機を感じて開催されはじめた、カヌー大会は毎年白熱戦だそうです。

森のなかを歩きました。
上の写真と下の写真は実はわたしが立っている場所を堺に、右と左を写したものなんです。まったく別の場所みたいですよね。

上の写真の木はモクマオウといって、人間が島に持ち込んだ植物です。かつて、薪の材料としてとても良いということでさかんに植えられ、生産されたのが今はガスにとってかわられ、使われなくなったことでどんどん増え続け、森の生態系を変えつつあります。
この木はほかの植物の種を発芽させない成分を含んでいて、それでモクマオウだらけの林が増えています。

モクマオウの緑色の部分は、葉っぱではなく枝なんだそうです!

これは種が入っていた実です。こんな実が無数にできるんです。繁殖力のすごさを感じます。

モクマオウの根っこです。浮いています!砂がもっていかれてしまって細い根っこが一本砂地にささっているだけの状態です。それでも生きてゆける強さがあるんですね。

美しいだけじゃない、戦争の傷跡がまだ多く、この島には残っています。これは米軍の戦闘機の残骸です。うしろに広がるエメラルドの海に浮かんでいるのは戦争中に物資を運んでいた船の残骸です。
戦闘機から生えた美しい緑がこの機体を隠すほどになるくらいには、世界はもっと平和になっているでしょうか。

島の固有の鳥、メグロです。きれいな鶯色をしています。


昼間は黄色の花が夕方にはオレンジ色になって地に落ちます。
”いちび”と呼ばれています。沖縄では”ゆうな”というそうです。

とけいそうの花が咲いていました。パッションフルーツの成る木ですね。

洲崎です。ここに将来、小笠原空港ができるかもしれない場所です。どんなふうに変わるのでしょうか。秘境だからこそ、本当に行きたい人が集まる小笠原諸島。たくさん人が来るようになったら観光業はさかんになります。物資もたくさん行き交うでしょう。それによってこの島の今ある豊かさはどう変わるのか。


何万年の前に、海底だったころに溶岩が噴出してできた岩です。

タコの木の根っこです。本来は幹にトゲがたくさんついていたのが、この島では敵がいなかったため退化して今の形になったそうです。沖縄ではアダンと呼ばれています。


幸福の木です。

こちらはパンの木です。火を加えるとパンのようなにおいがするらしいです。鳥たちがおいしそうについばんでいました。


島の人たちのアイデアで誰がどこに行くのか、統計をとるしくみです。
すてきです。

手前にあるのがよくあるヤシの木です。奥がココヤシです。実が大きいのは珍しいことなんですね。

野ヤギに遭遇しました。人間が持ち込んで野生化したそうです。生態系をこわすということで、同じく持ち込まれたノネコとともに駆除の対象になっています。

山の上へ行くと、同じタコの木でも生態が変わってきます。背が低く足も地面へ垂れ下がるようにささっています。

傘山からの絶景です。

茶色い葉っぱの部分は細かい毛です。こうして水分が急速に蒸発しないように守っているといいます。山での植物はほとんど、葉っぱが厚くなっています。


すぐ隣の兄島が見えます。

トラノオの花が咲いていました。この時期に咲くはずではないそうです。とても特徴のある甘い香りがします。

真っ白な砂浜が美しい、ジョン・ビーチを船から眺めました。

タコの木の実です。

コペペ海岸です。シュノーケリングをしに行きました。サンゴとスズメダイたちやブダイたちに出会いました。

扇浦海岸です。

海洋センターでは亀を飼育しています。父島にはアオウウミガメが毎年やってきて卵を産みます。生態系を調べたり、保護活動をしています。

三日月山のウェザーステーションからの夕日の眺めは心震えます。
夜は星たちが本当に美しかったです。ちょうど夜の10時半ごろに月が沈み、空は満点の星に彩られました。天の川が白いベールのように流れています。疲れていても、つい毎日街から歩いて30分ちょいのこの山に登ってしまいました。

楽しかった島ともお別れのときがやってきます。

さようなら。ありがとう。またいつか!!

そして長らくの船の旅がまたはじまります。

三宅島沖での朝日です。
かつて、太平洋戦争の戦地ともなった小笠原諸島。陸上戦こそ行われなかったものの、まだその傷跡は多く残っています。島の岸壁に開けられた数々の砲台跡を見ただけでも当時を物語るものがあります。そして清らかに広がる青い海と平和にさえずる鳥の声に、この美しさの背景には忘れてはならない過去もあるのだと思うだけで、何かをうったえかけられているような気持ちにもなりました。
戦中はカボチャやセロリをたくさん作っていたそうです。
本当に見事なセロリが出来たといいます。
今では少なくなりましたが、かわって冬の時期にトマトを作って本土へ出荷するようになったようです。
とはいえ、島では自給は難しく、多くを本土からくる物資に頼っています。船が遅れるとそれだけで大変です。みんな食料確保にお店へ走ります。
見えない部分がまだまだたくさんあります。
だからこそ魅力を感じるのかもしれません。
島の半分は車も入れないジャングルです。そこで循環している生命を次回訪れる機会があれば目にしてみたいな・・・と思いました。
小笠原はすばらしい島です!!