飛鳥の人に学ぶ

奈良へ行ってきました。
鳥人の知恵の合作と言われる、法隆寺に会いに!

1400年たっても堂々と建つ五重塔や回廊に胸うたれます。
地震も嵐も乗り越えて、日本の風土を理解したうえで、日本の木のいのちを生かしたすばらしい建築です。


木の癖を見抜き、生かしている。
法隆寺の修理にたずさわった、宮大工の西岡常一さんの本に「木は生育の方位のままに使え」とありました。生えいている場所によって性質が異なるそうです。たとえば、山の北側に育った木は太いけどやわらかい、などです。ここで、西岡棟梁は、人間も同じ、と説きます。

法隆寺の回廊には立派な円柱がきれいに並んでいます。
この柱に触れると槍鉋で丁寧に削られたあとがまだありありと残っています。今は道具が変わり、電気カンナなどですべすべに仕上がりますが、当時は手で丹念に削っていたんですね。それが味、ぬくもりとなって柱を彩っています。美しいです。見飽きません。

塔やお堂の垂木は20パーセントほどの無駄を後ろに残してあるそうです。垂木は屋根部分で中心から外に向けて軒になるよう渡している木です。

この無駄があるおかげで、修理のときなどに腐った端の部分を切り取り、引っ張りだせば一本木を丸ごととりかえずにすみます。


日本の文化は、自然の持つ素材のよさを生かして、自然のなかに置いて調和の取れるものを作っていくなかで生まれ、育ってきた、と西岡棟梁は言います。まさに、その象徴がこの法隆寺にあらわれていると思います。
すべては、それ自体では決して存在しえない、調和と融合のなかに成り立っていると感じます。文化ならずも、人も物も、この地球のいのちそのものもです。法隆寺にたたずみながら、自然と謙虚な気持ちになってゆきました。


「ちゃんとした物が残されていたら、そこから学び取ることができる。そのためにもちゃんとした物を残さないといけない。いいかげんな物をつくって残したのでは伝わるものも伝わらないし、そこで伝わってきたものを滅びさせることになる。ちゃんとしたものを残すためにはできるだけのことをせなあきません。」
西岡常一棟梁のこの言葉に、さまざまな出来事が頭をよぎりました。
今年もあとわずか、何ができるかな。
精一杯、できることを小さなことでもしてゆきたい、と思いました。