さようなら、そしてありがとう第四小学校

通っていた小学校が閉校となりました。
近くの団地が老朽化で壊されるにともない、住人が減り、小学校に通う子供がとても少なくなりました。最後の在校生は6学級で32人でした。
わたしが通っていたころも、すでに生徒は少なく、かろうじて1学年2クラスで、卒業時は2クラスで42人でした。

閉校になると聞いたときは、いつかはそうなるとは思っていましたがやはりショックでした。6年間の思い出がたっぷりつまった場所でした。

閉校イベントには、歴代の卒業生が約500名集まりました。
体育館では最後にみんなで校歌を合唱しました。
最後の校長先生からの挨拶と先生からの挨拶に、思わずじんわりしました。

校歌にあるとおり、小学校は林に囲まれた美しい場所にありました。
今でも雑木林がちらほらと残っています。

校舎の敷地内には、竹も生えています。この竹を切って、何か作った記憶があります。

昭和のころの卒業制作の焼き物が渡り廊下を飾っています。いろんな顔があって、よく眺めていました。
同じく渡り廊下の反対側は奇妙なタイル絵があります。

宇宙人!?

外には、こちらも卒業制作のトーテムポールがあります。こちらもよく眺めていました。なんだろう?と思いながら、いろいろな表情をした顔がいくつもあって、面白いものでした。
授業時には、焼き物をたくさん作りました。
学校にはなんと、焼き釜があったのです!それで、図工の時間に土鈴やコップ、貯金箱などの焼き物を作りました。

なつかしの図工室です。紙で型を作り、カラフルなロウチップをちりばめて、煮溶かして自分だけの大きなロウソクづくりや、木版画、木工制作、彫刻、いろんな工作をしたのを思い出しました。

校内のビオトープにはおたまじゃくしが無数に孵っていました!!
思わず手ですくってしまいました。かわいい!
当時は池にカメもいました。
校内の畑では、ジャガイモやヘチマなど育てたものです。
巨大ミミズがたくさんいて、面白かったものです。
ニワトリやハッカンもいて、わたしは飼育係をやったことがありました。

なつかしの教室です。
そういえば、ランドセルを学校に忘れて帰ったことがありました。
家につくちょっと前に、上履き入れと傘しか持ってないことに気づき(爆)、あわてて駆けて教室に戻ったら、だ〜れもいなくて、ガランとしたいつもと違う、静かな教室にポツンとわたしの赤いランドセルだけが机の上にのっかっていました。なんだかおかしかったのを思い出しました。


階段脇にあった、卵の殻で作られた未来都市図。こちらも卒業制作のようです。
階段掃除しながら、よく眺めていたものです。
音楽室もなつかしの場所です。
音楽の先生が、合奏が大好きで、いろんな曲を演奏したものです。
マンボNO.5だったり、喜多郎シルクロードだったり、ナウシカだったり。
アコーディオンがたくさんあって、嫌というほど弾きました。
合唱も好きでしたね〜

大好きな図書室!蔵書はだいぶ変わっていましたが、懐かしい本もたくさんありました。シャーロックホームズに、江戸川乱歩シリーズ、ずっこけシリーズなどなど。本を開いたら、またしても図書室から出られなくなりました(笑)。「用のない生徒は帰りましょう。」となつかしのアナウンスが放送室から流れ、おしまれながら最後の校舎を後にしたのでした。


同級生や恩師にも会うことができ、さびしいながらも感涙の閉校イベントとなりました。あらためて、とてもすばらしい環境で、すてきな先生と仲間とともに6年間を過ごしていたことを思い出しました。また、新たな気持ちでがんばろう!と思いました。

感謝をこめて。
ありがとう!!四小。思い出は永遠〜!